すべては問うことから始まると言っても過言ではない。
それは問題解決にしても、コミュニケーションにしても同じだ。
人と話すときにも、自分への問いかけから始まる。
「この人はどんな人なのだろうか?」「どんな話題が好まれるだろうか?」
おそらく意識的ではないかもしれないが、頭の中ではなんらかの問いが浮かんでいるはずだ。
アイデアも問いから生まれることが多い。
「この問題は何が原因なのか?」「顧客がもっと満足するには何をすればいいのか」
自問自答の中から発想が生まれてくる。
「美しい問い」なんていう人もいる。
問いかけから物事が進むとするなら、もっと意識的に問いについて考えてみてもいいのではないだろうか。
最近、特に自分に問いかけることの大切さを感じる。
子供はなぜあんなになぜ?というのだろう。
いろんなことに好奇心をもって、大人たちにいろんな質問を投げかけてくる。
答えている大人がうんざりするくらいだ。
最初は話を聞いて答えていても、やがてめんどくさくなって、自分で考えなさいとなる。
子供になぜ?が多いのは、好奇心が旺盛で、知識が少ないからではないだろうか。
知らないことが多いというのは、新たな発見に触れる機会も多くあるのだろう。
ある意味うらやましい。
それが、いつの頃からか、なぜ?が少なくなっていく。
好奇心が薄くなるのだ。
世の中の出来事を知る様になると、常識が増えていく。
ルールや慣習があるので、わざわざ問いかけをしなくても答えがわかっていることが多い。
または、ネットで検索すればだいたいの事は答えがある。
正解かどうかは別の話だけど、それほど深く考える必要もない。
または教育の過程で答えを教わることが当たり前になり、好奇心薄くなるのかもしれない。
これから、世の中はAIの時代になるのだろう。
すでに、人がやっているのかAIがやっているのか判別できないものもある。
すべてがAIに置き換わるわけではないだろうが、現時点でできることをみていると、思ったよりも早くAI社会がくるのかもしれない。
しかし、考えてみれば問いを持つというのは人だからこそできることなのかもしれない。
子供のような好奇心を持って、自分に問いかけることが、これからの時代には必要なのではないか。
美しい問いを意識することで、美しい答えが見つかるのかもしれない。
問いのデザイン
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