これからの不確実な時代を生き抜くには創造性を身につけ、自身で何かを生み出すことができるようになるのが良い。そのためには考える力が必要になる。
メンター育成セミナーなどで、考えることを考えてもらうことがある。皆色々と考えて入るが、考えるということについて考えたことのある人はあまりいないのではないか。
人は四六時中頭の中でいろんなことを考えているが、その殆どがブツブツ会話をしているだけだったり、同じことをぐるぐると考えている、いや悩んでいるだけといってもいいかもしれない。
辞書の定義によると、物事について、論理的に筋道を追って答えを出そうとすること。
結論を出すための材料の一つ
大辞林より一部抜粋
考えるとはどういうことだろうか。
考えるとはこれまで誰も出していない答えを導き出すこと。新しい物事を創造することと言える。
般的に「考えた」という場合、すでに答えのある物事を導き出した状態を言うのではないか。
学校の授業でもすでに答えのあることの解き方を教えてもらいそれの沿って回答を導き出す訓練をしている。
基礎学力としてそれは必要なのだが、社会に出るとそれだけだと厳しい。
これまでにないアイデアや解決作を求められることも多くなる。これまでゼロからひねり出すことをしていないと、検索に頼ってそれらしいことを常着合わせて解とすることもあるのではないか。
私の教室で考えてというと、真っ先に検索を始める。別に悪いことだとは言わないが、検索の結果導き出された答えはすでに誰かが考えたことであり、それは自分の頭で考えたと言えるのか。
以前聞いた話だが、最近の若い人たちは(この表現は好きではないが事例として使う)最初に答えを聞きたがる。仕事の手順も最初似正解を聞いておきたいそうだ。正解がわかればあとは効率よくこなせるという。
この話を聞いて思ったのが、すでに答えのあることを調べて出すのが考えることだと思っているのではということ。
予め答えの決まったことを効率よくこなすだけならコンピューターのほうが得意だ。
いずれAIの導入コストが下がってきたら、効率よくこなすだけの仕事はコンピューターに置き換わっていくだろ。
人が得意(人にしかできないこと)とするところを伸ばしていかないと、人の仕事はなくなるかもしれない。
今の時代、検索すればすで答えの出ていることは大体みつかる。保とんどの問題解決は検索でなんとかなるかもしれない。
いま残っている課題は、少し考えただけで答えの出るような物事は残っていない。
簡単には答えは出ないが、解決を待たれている問題は山のようにある。
コンピューターの発達やテクノロジーの発達である程度の事は解決できるのかもしれないが、偶然のひらめきのようなものは、今の所人にしかできないことだと思う。
正しい問いを持ち、今はまだ答えの出ていないものを創造するためには考え続けるしかない。
これからの時代を生き抜いていくには自分の頭で考え続け新しいものを創造することにチャレンジしてほしい。