未来を創る力

「やりたいことをやればいい」は無責任な言葉なのか

やりたいことをやればいい

「やりたいことをやればいい」というと、いろんな反応が返ってくる。

「そうは言うけど出来ない人もいる。」

「やりたいことなんてない。」

「皆がやりたいことをわかっているわけではない。」

いろいろ理由があるのだろう。

なぜやりたいことが出来なのだろうか。

やりたいことがない

これは、どういうことなんだろう。

生きている中で、やりたいことが無いなんてことが本当にあるのだろうか?

もしかしたら、まだ見つけられていないだけかもしれない。

興味のあることが判らないだけかもしれない。

自分がこれまで、経験や学んだ事の中には無かっただけかもしれない。

好奇心を持って周りを見渡せば、何か興味のあることが少しはあるはずだ。

やりたいことが自然と湧いてくるなんてことは滅多にない。

何らかの行動をして初めて自分がやりたいと思えることに出会える。

頭の中であれこれ考えていても、実感も体験も伴っていないのでそれがやりたいことかどうかも判らない。

まずは、小さな好奇心でもいいので、面白そうなものを見つけたら探求をしてみると良い。

やりたいことはあるが何らかの理由でできない

これはよくことはあるだろう。

仕事が忙しくて出来ない。

時間が無い。

いろいろ理由はあるだろうが、やりたいこととやらなければならないことを比較して選択しているのだろう。

しかし、出来ない理由がわかっているのなら改善すればいいだけではないか。

「やりたいことをやればいい」は無責任な言葉なのか

これはやはり無責任な言葉だろうと思う。

しかし、自分の人生に責任を持てるのは自分だけだ。

アドバイスは所詮アドバイスでしか無く、他人の価値観だ。

だからこそ、やりたいことなど自分で見つけるしかない。

自分が何を望んでいるかも自分の中から発見するしか無いのだ。

自分の人生を豊かに生きる責任は、自分が持っていると自覚することが大事だと思う。

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