人は自分に様々な制限をかけている。
それは小さな頃の親の言葉だったり、学校の先生だったり周りの大人達からの制限もある。
勉強しないと幸せになれない、良い学校に行かないと良い会社に入れない。
その場合の幸せとは一体何を指すのだろうか。
安定した生活だろうか。
老後の安定だろうか。
とにかく皆がそういうことを言うもんだから、何となくそうなのかと思ってしまう。
世の中には様々制限ががある。
ルール化されて明言されているものなら、従うことは当たり前だろう。
法律なんかはそうだろう。
従わないと違法になる。
だが、明文化されていない制限も数多くある。
常識や当たり前、暗黙の了解や空気を読むというように、何なのかもわからない事まである。
このような目に見えない制限は、やがて信念になり、そのまま行動を制限してしまう。
やりたいことが出来ないのは、制限が行動をストップさせるからだろう。
自分の思うように生きていけばいいのになかなかそれが出来ない。
昔はよく定職につきなさいと言われた。
定職についていないとだめな人と思われていた。
それがどこかに勤めに行くこと、就職することを表しているのだろう。
最近ではそんなこともなくなったのかと思っていたら、相変わらず根強い考え方らしい。
幸せでなくとも、不幸せにならないことが大事という価値観なのだろう。
本人がそうなのは構わない。
それこそ自分の人生、好きにすればいい。
しかし、それが常識となり誰かの人生を制限するのは良くないことだろう。
人生を好きなことをして生きていくことはだめなことなのか。
好きなことと言っても、自分勝手や身勝手に振る舞うことではない。
趣味に没頭していてそれが生業になることもある。
昔はゲームばかりしていてはろくな大人にならないなんて言われていた。
でも今はe-sportなどもある。
趣味を極めていくことが、良い人生につながっていくかもしれない。
よくわからない制限から開放されて、自分の人生を生きていけばいいと思う。
制限から開放されたときにやりたいことが見えてくるのだろう。